休日の午後2時から5時が、なんであんなに早く溶けるのか

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土曜日の朝、9時に目が覚めたとき、「今日は一日丸ごとある」と思って、心の底からほっとする。

コーヒーを淹れて、洗濯機を回して、ベランダに出て、ちょっと本を読んで、SNSを眺めて、二度寝して、お昼を食べて、また少しだらだらする。気がついたら、午後2時になっている。「まだ午後2時か、まだ全然ある」と思う。

そして、ふと時計を見ると、もう5時になっている。

毎回、こうなる。本当に毎回こうなる。午後2時から5時の3時間が、どこかに消えている。

朝の9時から12時の3時間は、ちゃんと3時間あった。あれだけ色々できた。なのに、午後2時から5時の3時間は、ただ消えた、としか言いようがない。同じ3時間のはずなのに、ぜんぜん長さが違う。

しかも、これは夕方だけじゃない。夜の8時から11時もそうだ。

夕飯を食べて、お風呂に入って、ちょっとテレビを見て、SNSを眺めていると、もう11時になっている。「あれ、なんで」と思う。さっき8時だったのに。

午前は長いのに、午後と夜は短い。同じ時計を使っているはずなのに、なぜなんだろう。

「あと何時間ある」が見えると、時間は縮む

考えてみると、午前と午後で決定的に違うことが、一つある気がする。

朝9時の段階では、「今日が一日まるごと残っている」という感覚がある。**残りがほぼ無限にあるように見える。**だから、時間がゆっくり流れる。何をしてもいいし、何をしなくてもいい。一個一個の行動に、ちゃんと厚みがある。

ところが、午後2時を過ぎたあたりから、状況が変わる。「今日も残り少なくなってきた」という感覚が、ぼんやり頭をよぎり始める。窓の外の光がちょっと黄色っぽくなる。夕方が来るぞ、夜が来るぞ、明日が来るぞ、月曜が来るぞ、働きたくない、という気配が、じわじわ忍び寄ってくる。

そうなった瞬間、時間が急に早く流れ始める。

つまり、こういうことだと思う。

「あと何時間あるか」が見えた瞬間、時間は心理的に圧縮される。

朝は「無限」だったから長かった。午後になり「あと数時間」になった瞬間、その数時間が、急速に縮み始める。終わりが見えていない時間と、終わりが見えている時間は、同じ長さでも、ぜんぜん違う速さで流れる。

これ、結構大きな話な気がしてしまう。

そして、ここまで来てしまうと、もう一つ、避けて通れない話に行き当たる。

人生の後半が早い、というあの話

「子どもの頃は時間が長かったのに、大人になってから時間がどんどん早くなる」というのは、よく聞く話だ。みんな言う。私も時々言う。

これにはたぶん色々な説明があると思う。新しい体験が減るとか、慣れが進むとか、いろいろ。私はそれらをちゃんと知らない。ただ、休日の午後2時から5時のことを考えてしまったあとだと、もうひとつ、別の説明が頭に浮かんできてしまう。

人生も、後半に入ると「終わりが見える」から、早くなっているんじゃないか。

20歳の頃、私は「人生はあと何十年もある」と思っていた。残量メーターが、ほぼ無限に見えていた。だから、一年が長かった。一日が長かった。何かを始めるのに、躊躇いがなかった。「まだまだ時間はある」と思えていた。

これが、年を重ねるごとに、たぶん少しずつ変わってくる。「あと何年あるか」が、ぼんやりとでも見え始める。親が年を取る。同級生が誰か亡くなる。健康診断の数字が、ちょっとずつ気になり始める。「終わりがある」ということを、若い頃よりずっと具体的に意識するようになる。

その瞬間、時間が縮み始めるのかもしれない。

午後2時から5時が早く溶けるのとまったく同じ仕組みで、人生の40代、50代、60代が早く溶けていく。残量メーターが見えてしまうことが、時間を圧縮する。

これは、ちょっと怖い話だ。

それでも、午後2時を私は嫌いになれない

ここまで書いて、なんだか急に暗くなってしまった気がする。

でも、もう少し続けたい。

「終わりが見えると時間が早くなる」という話は、見方を変えると、**「終わりが見えるから、時間が大事になる」**という話でもある。

旅行の最終日が一瞬で終わるのは、その数時間を全力で味わおうとしているからだ。夏休みの最終週に宿題を慌ててやるのは、「もう時間がない」が見えたからだ。残りが無限に見える朝9時には、私たちは時間を雑に使っている。何時間でもダラダラ過ごせるからこそ、雑になる。

時間が早く感じられる、ということは、その時間が密になっている、ということでもあるのかもしれない。

人生も同じかもしれない。20歳のときの一年と、50歳のときの一年では、一年の重みがぜんぜん違う気がする。20歳のときは、雑に使った。あれもこれも、いくらでもやり直せる気がしていた。50歳の人が同じことを言うとしたら、それはたぶん少し違う種類の発言になる。「これしかない」が見えている人の一年は、「いくらでもある」と思っている人の一年より、密度が違う。

早く溶ける、ということは、丁寧に過ごしている、ということなのかもしれない。

午後2時から、もう一杯のコーヒーを淹れる

私は今日も、休日を過ごしている。

午前中、二度寝して、洗濯して、コーヒーを淹れた。お昼を食べた。気がつくと、もう午後2時を過ぎている。これから、たぶん、3時間が、一瞬で溶けていく。何回経験しても、たぶん、また溶けていく。

でも、それでいいのかもしれない、と最近は思っている。

午後2時から5時の3時間が、朝の3時間より早く溶けるのは、私がその3時間を、朝より少しだけ大事に思っているからだ。「もうすぐ終わる」が見えているからこそ、私はその時間を、ちゃんと味わおうとしている。雑に使えないから、密になる。密になるから、早く感じる。

そう思うと、午後2時の気だるい光の中で、もう一杯コーヒーを淹れることに、ちょっと違う意味が出てくる気がする。これは、雑に過ごしている時間じゃない。短く感じられるくらい大事に過ごしている時間なのだ、と。

夕方の光がだんだん黄色くなる。窓の外で、誰かが洗濯物を取り込み始めている。あと3時間で、たぶん夜が来る。

その3時間が、また一瞬で終わるんだろうな、と私は思う。

そして、それでいい、とも、たぶん思っている。

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